介護日記
心に響く家族愛の記録
介護奮闘記シリーズ1

痴呆症の年寄り二人を子育てのつもりで育てる毎日(パート1)

私、今九十七才の祖母、七十七才の母(と言っても主人の血のつながらない母)をみています。
二人とも老人性痴呆症になってしまい、朝から夜中まで大変な毎日です。

九十七才だけなら何とかと思いますが、その長女の七十七才もショック性の痴呆症になってしまい、
今は主人と叔母と息子に助けられながら毎日を過ごしています。
仕事もありますので自分たちの時間と言うものは全くありません。
自営なのでやめるわけにもいきません。

友人からボケ老人は宇宙人だと言われましたがその通りだと思います。泣き笑いの毎日です。
病院にいれてしまえと言う人も多いのですが、こんな人だからこそ・・・・・・・。

九十七才は十人も子供を産んだ人。七十七才は子供の産んだことのない人なのです。
この親子を家族の中で何とか見届けてやりたいと思うのです。
老人性痴呆症は子供を育てることと同じだと思いました。
子育ての時期は一生のうちの十八,九年。その時、その時を大切にと思って育ててきました。

今、その時の心境と同じです。"年より育て”です。

子育てよりももっとエネルギーを必要としますが育てていくと思わなくてはいけません。
体力的に大変ですが、病院の先生と相談しながら泣いたり、笑ったり、ケンカしながら見送れたらと思っています
(体力不足の五十五才)

真剣な介護をしたのに・・・(パート1)

家族では無理なのでホームヘルパーさんを頼み、介護をしました。
毎日決まった時間に担当者の方が通って下さり、非常に親切にして下さいました。

ところが母はある日、血を吐き亡くなりました。
栄養失調との事でした。
よく調べたところ食事をとっていなかったのです。

一生懸命ヘルパーさんは時間通りに食事の確認をしてくれていたのに、母が拒否して
「食事したからもういらない」と言っていたのです。
ヘルパーさんは何も悪くはありません。とても悲しい現実を体験しました。
(不動産会社勤務 男性)

何故身内が・・・(パート1)

自分は日ごろ仕事をかかえています
嫁に迷惑はかけたくないので、自分が母の面倒を見ています。

おむつ交換をしている最中に自分の名前を、呼んでくれるのではなく兄弟の名を呼ぶのです。
ところが兄弟・親戚等はいざとなったら、俺は知らんとか病院いれてしまえとか何もしないのです。
兄弟の名を母が呼んだとき現在の法律が許すのであれば、自分の母の首をしめてしまおうかと思ったこともあります。

介護ストレスによるニュースがでて、その兄弟・親戚がどう恥じをかくか真剣に考えました。
会社の同僚からは叱られましたが、思い出すたび涙がでてくる毎日です。
(自分が狂いそうさん 男性)

痴呆症の年寄り二人を子育てのつもりで育てる毎日(パート2)

ボケ老人2人をかかえてちょうど1年が過ぎました。九十七才の大ババは夜になるとあばれ
だし(着ているものも、おむつも全部はずしベットサイドをはずして投げ飛ばし、自分が頭から
落ちて来る。
足が骨折してだめなので両手でこいで廻ります)やっとベットに納めても一晩中
家族一人一人の悪口を何時間もしゃべりまくりました。

あまりのすごさに私たちもヘトヘト・・・

お医者様に相談したら、このままでは家族が大変なので安定剤を使いましょう。
もう一人の母も同じ薬を飲んでいました。
こちらも暴言がひどく夕方より行動が始まります。

昼間は寝てばかり居て外へ出て行く事はなかったのですが、家の中をぐるぐる歩き廻り各部屋
をのぞいては、「この家は戸締りが悪い。この家はだらしない。風呂場を見ても変な部屋だねー。」

そして九十七才は自分の親なので普段は心配してるのですが
機嫌の悪いときは一変して「こんなくそババは死んでしまえばいい。わずらわしい」と言い出しました

人が聞いたらビックリするかもしれませんが、自分で自分の事が思うように出来ないのですから
当たり前の事かも知れないと思いました。
つらいのは私が店に出ている時間に色々な事が起こります。
私が居間に居る時は二人共おとなしかったのです。
夕方より店に出てくるのですから仕方ないのですが、これが反対だったらよかったのに・・・

お正月にはおもちを沢山食べさせてのどつまりをさせてやろう。早くいけるかもよ
ところが人の倍も食べてもケロッとしている食欲ボケでみんなあきれて口がふさがらない・・・
2500円もってアメリカ行くとか、世界中のものをたべなきゃワシャ死なんと言い出す始末。
胃腸が丈夫で六十代の内臓だそうです。
我家のバンパイヤー!!バンザイ???(体力不足の五十五才)

痴呆症の年寄り二人を子育てのつもりで育てる毎日(パート3)

この内臓しっかりバンパイヤーにも泣き所が有りました。暮れの29日にジョクソウが出来車椅子に
座っていられなくなりました。薬を飲んでからはそれほど大げさにあばれなくなりましたが、その分
寝ていなければいけません。ジョクソウも半年かかって何とか98点を頂ける状態になりました。
食べるのが良いそうです。

5月15日昼食事のとき御飯を一口食べて、のどつまりをしました。あやつり人形の糸が切れた状態
の様にダラリとなり、顔から手足の先まで紫色、お医者様にTELする人、指を突っ込む人、背中を
叩きながら呼びかけをする人。(紫色になっても手が暖かかったのです)

先生もすぐ来て下さって横にするように言われました。
先生はしばらく脈を確認したり、応急措置をとってくださり呼びかけをしていました。

もうだめかな?誰もが覚悟を決めたその瞬間、九十七才がまゆ毛の所にしわをよせたのです。
救急車に乗りそのまま入院して、胃と肺の洗浄でした。
入院後運悪く肺炎にもかかり、検査の結果はMRSA(抗生物質の効かない細菌)という細菌に感染
したとのこと。

1日かかって入院手続きを済ませ、1週間後に意識を戻しました。
その第一声がなんと!!「腹減った」ものすごい生命力!!
何度か食事した後、「金を持って来い!!」ひ孫が「バッちゃんどこにお金しまってあるの?持って来て
あげるから、どこにあるか言ってごらん」と言ったらボーとして元のボケ状態に戻りましたとサ・・・
23日間の入院生活を終えて、又我家で食欲ボケの真っ最中!!
セミの幼虫を見せても口を開けました。
さすが我家のバンパイヤーです(体力不足の五十五才)



注)一切ヤラセ記事ではありません。
老人介護をかかえる実態状況を、聞き取りの上記載しております。ただし名前は一切公表しません


くろまめが思うこと
老人介護難しい課題です・・・
いろんな声をお待ちしています
介護される本人、介護する人(家族・ヘルパー)すべての人に心のケアが必要なんですね